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1)採集の重要性が確認されわざわざ狩猟”採集”文化と呼ばれるようになったのはもう半世紀近く前。カロリー源として4:6で採集という上野の説明は概ねここ数十年の定説。 2)マンモスなどの大型哺乳類の絶滅を人類の狩のせいにする専門家もいないことはないが、近年は主流とは言い難い。 3)狩猟技術の…
えー? 狩猟がこんなお父さんの趣味の釣りみたいな扱いで描かれてんの?! ホモ・サピエンスが地上を制覇したのはアトラトルによる集団狩猟で、それにより安定的に獲物を狩れるようになったからじゃなかったっけ? こんな率の悪い狩猟でそんなにいろんな動物絶滅させられないだろう
13 replies and sub-replies as of May 15 2022

…発達が人類の躍進を支えた(所謂「狩猟仮説」)は(1)の転換と同時に劣勢になり、今では「社会性の重要性」みたいな議論が主流。  …ですね。リンク先の漫画や上野千鶴子は特におかしなことを言っているわけではないし、「社会学」特有の議論というわけでもない。特に3に関しては、ボノボの…
…研究なんかが影響を与えているので、それを人類に適用することの妥当性は怪しい気もしますが、むしろ自然科学者の側からの影響が大きい。
元々、旧石器時代の社会のイメージは、啓蒙時代から「好戦的な野蛮人による”万人の万人に対する闘争”が繰り広げられ、その中で狩猟や戦争のための攻撃能力を進化させてきたグループが淘汰をくぐり抜けた」仮説と、「旧石器時代の人類は協調的で、戦争を知らない生活を送っており、社会を…
…作るための利他的なコミュニケーション能力が人類の成功の基盤である」仮説の二通りが争ってきた、という面はある。で、1970年代ぐらいまでは社会進化論の隆盛もあって前者が比較的優勢で、80年代ぐらいから徐々に後者が支持されるようになってきた。
近年の論文なんかを見ると「80年代の議論はちょっと行き過ぎで、先史時代の人類も意外と肉食ってるんじゃね」という主張が盛り返している感じは受けるけど、それでも、狩猟仮説的な発想が再び支持されるということではなくて、「旧石器時代の人類は(好戦的な)チンパンジーよりはボノボに近かろう」…
…という見解の方が支持されているのではないかと思う。ということで、上野千鶴子氏の主張は、「現状ではやや古いという批判はあり得ても、ヘンテコなものではないし、”社会学”特有のものでもない」というのが結論。採集の価値を切り捨てる方が明らかに学説としては古い。
ただ、そもそも霊長類と先史時代の人類と、現生の狩猟採集民とをごちゃ混ぜに論じている現在の在り方が妥当なのかというのは疑問の残るところではある。現在の狩猟採集民は別に旧石器時代の人々と同じ生活をしているわけではなく、彼らなりの変化の蓄積の結果を生きているはずなので…。
あと、狩猟と採集のカロリーの比率は、もちろん地域や文化にもよる。例えば北極圏に住んでいたらほぼ100%動物性の食事に依存することは避けられないわけで…。
人類進化は同位体分析みたいな手法も発達してきたことだし、まだまだ調べなければいけないこと、また議論しなければいけないことが膨大にあるのは事実であるので、何かを断定的にいうべきではない、というようなことは、両陣営に対して言える気はする。
ただ、調べなければいけないことは無限にあると思うけど、今後学問分野として報われる要素は限りなくちっちゃそうなので、志す人は余程の覚悟が必要な分野の一つではあると思うけど。ちょっと安易に人には勧められない。
直接の先祖、子孫関係にある縄文人とアイヌでさえも、その生活はまったく子となるでしょうね
ほとんど変わってないと思います
しかもこれは、大型動物が減少した後の縄文時代についてのまんがですよね。食物が植物中心で、動物質の食物でも漁撈によるものがかなりの比率を占めていたことは中学の歴史教科書でも触れていれるので常識だとばかり思っていました。